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目の前のひとつの命

生後10日程の赤ちゃんが発熱を主訴に当科紹介となりました。Photo

診察時、泣き方が弱々しいのがイヤな感じでした。

  

こんな時は、まずは細菌感染症を疑います。

新生児の場合は重症化しやすいため迅速な対処が必要です。

  

すぐに入院管理としました。

  

  

  

血液検査、尿検査、血液培養、腰椎穿刺での髄液検査・培養などのSeptic Workを行いました。

白血球は好中球優位の17000CRP3.1 、軽度の肝機能障害あり。

まずは抗菌薬の静注を開始しました。

  

それでも症状改善せず、肝機能の増悪も認めるようになりました。

もしや、細菌感染症ではなく、単純ヘルペスウイルス感染じゃないか?

  

そうであれば予後が悪いだけに、直ちに抗ウイルス剤の点滴も追加しました。

  

  

しかし、状態の改善はなく、あっという間に血清フェリチン値は10万以上に上昇、凝固異常も出現してしまいました。

骨髄穿刺でも貪食像を認め、また提出中であった血液のヘルペスウイルスPCRも陽性でした。

  

  

  

診断は・・・単純ヘルペスウイルス感染症とそれに伴うDICと血球貪食症候群。

  

  

  

ある文献では、この病気では6割以上の赤ちゃんが死亡すると報告されています。

  

このような状態では、自分の病院でこれ以上管理するより

更に大きな病院のほうが良いであろうと考えました。

  

  

近隣のこども病院に連絡をしてみました。

  

こども病院のドクターによると、

そこでも今まで数名の患者を治療したことがあるが 皆亡くなられたとのことでした。

ならば、尚更この患者さんを受け入れて貰いたいと思ったのですが、

満床、加えて血漿交換の機械が他の患者に使用中であり残念ながら受け入れは不可能とのことでした。

  

  

残るは大学病院しかありません。

大学病院の小児科ドクターに電話をかけ、今までの経過と検査データを話している途中、

  

グラグラ ガタガタ  地震が起きました。

  

相手の先生は

“地震なのでちょっと病棟を見て来ます。後でまた連絡します。”

と言って電話を切りました。

  

  

  

この地震はかなり強いなと思ったとき、病院が停電となりました。

大きな揺れは続きます。

  

  

  

その日は311日でした。

  

  

  

停電になると病院は非常電源に切り替わります。

自分も入院患者さんの安全を確認し医局に戻ってみると、地震の状況がテレビに映し出されていました。

ヘリコプターからは、

津波が押し寄せてくる状況、

そして走っている自動車が呑み込まれていく様をライブで中継しています。

  

現代の日本でこんなことが起きるわけがないとテレビ画面を信じることは出来ませんでした。

  

  

  

しかし、この地震が普通の地震ではないと受け入れざるを得ませんでした。

一般電源は全くつきません。電話もつながりません。

テレビでは被害がどんどん大きくなっていく状況を報告しています。

  

果たして、何人の命が犠牲になったのか・・・。

  

  

  

津波の被害にあっている人たちのことを心配はするものの自分には何も出来ません。

今の自分がしなければならないのは、病院に来ている患者さんたちの管理です。

  

とりわけ、重症感染症で亡くなるかもしれない、目の前にいる、この赤ちゃん。

  

大学病院も彼らの患者さんで、てんてこまいでしょう。

それ以前に、大学病院に連絡もつかず、被害状況からして、いつ連絡がつくか見当もつきませんでした。

  

  

そうなると、自分の病院で治療を続けるしかないと腹をくくらざるを得ませんでした。

  

ご両親に現在の状況を説明し、その旨を話しました。

  

  

  

“お願いします。”

  

すがるような目でお父さんが言われました。

  

  

何としてでもこの子を助けなければ、という気持ちが改めて込み上げてきました。

  

  

  

治療には高サイトカイン血症をいかに抑えるかが非常に重要です。

血漿交換は有効な手段です。

しかし、自分の病院には新生児に使えるような血漿交換の機械はありません。

このようなときは、血漿だけではなく、血液全部を交換する交換輸血しかありません。

  

ただ、これは新生児の重症溶血性貧血などに於いて昔から行われているものです。

まずは合成血(O型赤血球とAB型血漿を混ぜたもの)をつくります。

動脈ラインから赤ちゃんの血液を注射器で抜き、同時に静脈ラインから合成血を注射器で注入します。

脱血する人と輸血する人がタイミングを合わせながら行います。

何度も何度も繰り返し、からだ中の血液全部を入れ替えるのです。

  

全自動の機械があるならば高度医療を行っているように見えますが、

このように古典的にすると非常に地味で疲れます。

  

交換輸血には小児科医全員が関わってくれました。

  

  

  

“がんばれよ。”  と気持ちを込めながら血液を入れます。

そして“この子を助けて下さい”と神様に祈っている自分に気付きます。

  

(医者としては落第かもしれませんが・・・。)

  

  

  

いつの間にか夜中になっていました。

普段なら、街の灯が見えるはずなのに停電は復旧せず、信号機もついておらず、外は闇でした。

星空だけが美しく見えました。

  

途中、地震の被害状況を確認してきた医師から、死者は数百人じゃきかないだろうと聞きました。

  

  

自分たちは今、目の前のひとつの命を助けるため全力を尽くしている。

それでも助かる保証はない。

こんなにひとつの命を救うことが難しいのに、

一方で、ついさっき千人をも超える命があっけなく一瞬にして失われた・・・。

  

  

  

自分の無力さ、自然の力の怖ろしさ、運命の非情さ  様々な思いが交錯します。

  

そして改めて思うのでした。

  

  

まず、目の前の小さな命を救いたいと。

  

  

  

交換輸血が終わったのは24時を過ぎていました。

  

これは単にひとつの処置の終わりです。

その後、抗ウイルス剤やDIC治療の継続はもとより、

大量のステロイド、免疫抑制剤などを投与開始しました。

  

これらの薬が効いてくれと願いながら、この子を見守って行くのです。

  

  

   。。+゚゚。。+゚゚。。+゚゚。。+゚゚。。+゚゚。。+゚゚

  

  

この子は非常に強い赤ちゃんでした。

  

  

マイナーな問題はいくつかあったものの、

元気も出てきて検査値も改善して行きました。

  

  

その後、無事に退院し、外来でフォローしていても現時点では後遺症もなく元気です。

  

ご両親には最初は何度も泣かせるようなムンテラをしてしまいました。

  

その度に説明を受け入れ自分たちを信頼してくれたことに感謝しています。

  

  

  

  

幸運にも、目の前のひとつの命は救われました。

この命が失われるかもしれないというとき、御両親はどれ程心を痛めたでしょう。

愛するひとの命の重さは計ることは出来ず、自分自身の命より大切に思えたでしょう。

  

  

そして、今回の震災の死亡者は約2万人。

  

それぞれの命が失われたことにより、

その身近なひと達の悲しみは、いかばかりのものでしょう。

  

死亡者数2万というのは、

  

2万人が亡くなったというより、

  

ひとつの命が失われた悲劇が2万件あったということです。

  

  

  

改めて、今回亡くなられた方たちのご冥福を祈らさせていただきます。

  

それと同時に、震災から5カ月経っても消えない、残された人たちの傷が

少しでもはやく癒えることを願わずにはいられません。  

  

  

  

  

  

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